薔薇の名前

その『不自由』を愛す」にありがたくも頂いたコメントから
(あんな文章は大抵mixiでもノーコメントです)
ふと思い出したので、また再録。

もう5年以上前に書いた文章なんですが、書いた当時、
私は、恋人と別れたばかりでした。

この方とは、色々価値観の相違があったんですが、
その最たるは「恋人という存在に求めるもの」でした。

当時、自分の価値観の正しさを信じて疑わず、
相手の価値観は、私のそれを論理で上回らないと受け入れない、と
なんとも扱いかねるほどに、好戦的だった私は、
相手の恋人という存在に対する期待に真っ向から反発し、
結果、関係はものの見事にぶっこわれました。



まあなんてゆーか、顔につられて付き合っちゃうと
そーゆーことって起きるよね!!

(ええーーー………)



そのあとも、懲りずに何度か手酷い目にあって
(ていうか相手をあわせて)ようやく、

「恋愛観に、正しいも間違ってるもない。
ただ合うか合わないかなんだ」

ということを骨身にしみて学ぶことになるのですが、
当時、何がそんなに合わなかったのか、すれ違ったのか、
悶々と考えたあげくに、書いた文章がコレでした。


つか、読み返して思ったけど、当時の私、めんどくさいし、
なにより重い(笑!! 勘違い(笑!!

付き合った期間、超短かったのに、別れようって何度も言われては
食い下がったなー。
そのたびに「価値観なんて違って当たり前だし、
簡単に投げ出さず、すりあわせようよ」って、エラそーに
いってたけど、要は私の価値観に従わせようと
してたんでしょ?
途中から、好きってより、意地が勝ってたよね?


無理無理無理!
しかも相手、一回り以上年上なのに無茶過ぎる(笑。


今も、基本の考え方はたいして変わってはいないけど、
だいぶ、ゆるーく、まあまっとうにいい加減になったなーと、
ちょっと懐かしくなりました(笑。



------------------
『薔薇の名前』


昔から、その言い方はダメなんだ。

だってその言い方だと、あたかも決まった一つの席が
私の中に用意されていて、君がそこに座ったみたいじゃないか。

君の中にそれはもう特別だと決まった席が一つあって、
そこに私が座ったみたいじゃないか。

それは特別なように見えて、代替可能なことを、
あまりにあからさまに思い知らされる言い方だ。
関係の親近を表すようにみえて、実はとても遠い言い方だ。

私がリアリストであるかのように君は言うけれど、
私は多分君より遙かに、そして自覚的にロマンチストで、
私はただ、今そこにいる君と親密に関係していきたい。

一つの名前を与えた方が、一つの契約を結んだ方が、
行動の様式を選択しやすいというのなら、敢えて名前も引き受けるし、
敢えて契約も交わすだろう。

けれどその契約の為に、私たちの関係の道筋やきまりごとを、
基本様式と思われている形に則って無批判に
君が選択しようというならば、私は常に否やを唱える。

それはまるで青く咲こうとする花を、
ここに植わっている以上は常に赤くあるべきだと
いっているように思えるから、どうしても簡単には肯けない。


常に問い返しを、検討を、そして自覚を。
怠るというのならば会話すら億劫だ。
その時は多分、君の前に私はいなくたっていいのだ。



だから君、私を「彼女」にしないでください。




PCの方:にほんブログ村
モバイルの方:web拍手
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ヨコ

Author:ヨコ
どたばた働き、美味しいご飯をぱくぱく食べ、5歳上の彼女とのお付き合いはのんびりまったり、一緒に楽しく暮らしております。

ランキング・コンタクト

ランキングに参加しています

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

フォローミー
yoko_tuzukuhibi

メールフォーム

メールはこちらからどうぞ~。

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム