すくいのことばによせて


   例えば、今私が死んだら
   人はどう思うでしょうか。
   「まだ34歳の若さで、可哀想に」
   「小さな子供を残して、可哀想に」
   でしょうか??
   私はそんなふうに思われたくありません。
   なぜなら、病気になったことが、
   私の人生を代表する出来事ではないからです。


   BBCに寄せられた小林麻央さんのコメントより



彼女の死にまつわる報道の多くは、私を苦々しい気持ちにさせた。

愛する人の死に、身を裂かれる思いの家族を、衆目の前にひきずりだし、心境を語らせようとするその行為は、あまりに非人間的に感じた。

けれど、あるテレビ番組でこの彼女のコメントが読まれた時、言葉はどんっと私の胸に飛び込んできた。涙が溢れた。


この言葉に出会えたことに感謝した。




ここからはかなり長い話になる。

あまり、愉快なたぐいの話ではないことだけ、先に断っておく。



三年前の春、母が倒れた。
脳出血だった。


通っていた整体の教室の帰り、道端でうずくまった母に、通りすがった人が話しかけたのだという。
最初は話しかけた方に受け答えしていた母は、しかし次第に意識を失い、その方が救急車を呼んでくださったのだという。


夕方、会社で仕事をしていた私の元に、その話が飛び込んできたのは、今は名古屋に住む弟を経由してのことだった。
携帯が何度も鳴らされていたが、ミーティング中だった私は気づかず、席に戻って留守電を聞いて、母が倒れ、病院に運び込まれたことを知った。


目の前が暗くなるというのはこういうことか。


すべての感覚に薄い膜がかかったような、雲を踏んでいるような心持ちで、病院に駆けつけた。
おって、弟も名古屋から新幹線でやってきた。


緊急手術は数時間に渡った。
父と、私と、弟は、夜の病院の待合室で、言葉少なにぽつりぽつりと話をした。


「もう、以前のあいつは帰ってこないんだな」


父がそう言ったことだけは鮮明に覚えている。
現実感はまるでなかった。



手術を経て、母は一命をとりとめたが、そのあと数週間ICUから出られなかった。


最初は目も開かず、ぴくりとも動かなかったが、次第に問いかけると手を握り返したりして、返事を返してくれるようになった。
自発呼吸を取り戻した。
ずっと昏睡状態にあったのが、次第に目を開き、目が合うようになった。
うなずきが、声になることもあった。
文字を書いてくれることもあった。


その時期は、そうやって、すこしずつ回復していくものと信じていた。
障害は残るかもしれないが、また話したり、笑ったり、一緒にご飯を食べたりできるものだと。



けれどことはそうは進まず、急性期の病院を退院し、リハビリ病院に移り、そこにいられる限られた時間の中で、母の身体的な機能は、ほぼ回復しなかった。

自分で歩くことはおろか、おそらく口からものを食べられることはもうないだろう、と伝えられた。
今まで鼻から管を通し、そこから栄養をいれていたが、それは毎回非常に苦しそうで、誤嚥のリスクがつきまとった。
胃に穴を開け、そこから栄養をとれるようにするかどうかの判断を迫られた。


胃ろう、といい、延命治療の代表のように言われる処置だ。


母は延命治療といわれるものを非常に嫌がっていた。ことあるときは、尊厳死を望んでいた。
家族はそれを全員知っていた。



しかし、これは延命治療なのだろうか。
延命治療とはなんなんだろう。
どこまでが病気や怪我の治療で、どこからが回復の望みなくただ命をつなぐだけの延命治療になるんだろう。


回復が、完全に元に戻ることであれば。
自律的に日常生活を送ることができるようになるということであれば。
そうならないのであれば回復でないのであれば。
これは延命治療以外のなにものでもない。


けれど、今のように少し調子がいいときは、こちらの言うことに耳を傾けてくれ、頷いたりしてくれるこの状態を続けようとすることは、延命治療なんだろうか。
そして、そこから1ミリでもなにか状態がよくなるよう治療を施してもらうことは、延命治療なんだろうか。
たとえば大怪我をして、ものを飲み込む機能だけを失った人がいたとして、それを補う為に胃に穴をあけるのであれば、それは通常、延命治療とはいわないだろう。


母に判断してもらうことは望めなかった。
何度とない、逡巡、針を飲み込むような話し合いの中で、私たちは母の胃に穴を開けてもらうことを選んだ。

季節は夏が過ぎ、秋にさしかかっていた。




リハビリ病院を退院しなければいけない時が来て、どこに移るかの話になった。
身を起こせず、胃に管を繋いで栄養をいれなければいけず、話すこともできない母が、実家に帰ることは絶望的だった。
いろいろな施設を検討し、結果的に実家からほど近い完全看護体制を引いている民間施設に入ることになった。
リハビリはほぼ自費でほそぼそと続けることになった。


そして、三年弱が経った。
父はほとんど毎日母のもとに通い、話しかけながら口腔内を掃除したり、腕や足をさすって、時を過ごしている。
働きながらも、毎日見舞う父には、ほんとうに頭がさがる。



母の体調は、時に緩やかに、時に急激に、良化と悪化の波をうつ。

穏やかな表情で、私の話に目でうなずいたり、ときに話にあわせて顔をしかめてくれる日もあれば、いくら話しかけても虚空を見つめ、なんの反応も示さない日もある。
落ち着いている日々が続き、リハビリの結果ゼリーが飲み込めるようになったと思えば、血圧があがってしまい、幾度となく吐いて入院し、どこで治療を諦めるか、判断を迫られるような状態になったりもした。
しかし、そこから施設に戻れる程度に回復し、今は施設でまた日々を過ごしている。


そして、そんな風に波を打ちながら、ゆるやかに、母の身体機能は低下を続けている。


この時間がどれだけ続くのかはわからないし、そうやって低下を続けた末か、それとも急激な何かの悪化の為かはわからないが、母はいつか息を引き取るだろう。
人生の終わりにこんな過ごし方はしたくなかったと思っていたであろう、今の日々を終わらせるのだろう。



三年間、母の今の生活がこのような状態であることに、ある種の負い目を感じてきた。

家族の、生きてほしいという願いだけで、母を永らえさせているのだと。
母自身は、こんな状態が続くくらいであれば早々に死にたかったかもしれない、と、常に思ってきた。
いまも、そうは思っている。


そして、なぜ、と思う。
答えが出ないことはわかっている。
それでも、思う。
なぜ、母が、脳出血を患ったのか。
そして、思うように回復できなかったのか。


大学を卒業してすぐに結婚した母は、けれどなかなか子供に恵まれず、長年不妊治療をしていた。
何度かの流産のあと、10年経ってようやく私を産み、弟を産んだ。

そしてその長い不妊治療のダメージからだったろうと本人は言っていたが、40代の前半で乳がんに罹った。
今より治療方法も多様化していなかった中で、温存手術を、抗がん剤を、ワクチンを、選び試し、治療のために全力を尽くし、そこから20余年を再発することなく生き延びた。
そして、ようやく授かった二人の子供を無事成人させ大学まで出し、両親を見送り、そしてその間ずっと休むことなく、定年を迎えるまで、教師というフルタイムの仕事を、誠実に懸命に務めつづけた。


そうやって生きてきた人が、なぜこんな病いに襲われなければならなかったのか。
延命治療をあれだけ嫌がっていた人が、延命に近い処置を受けながら、自分ひとりではほとんど身動きがとれず、ベッドの上で長い長い時間を過ごさなければいけないような病に。




けれど今日、小林麻央さんのメッセージに触れて、私は大きな思い違いに気づいた。
いや、頭の中にはあったもののどうしても心からそうは思えなかった考えを、胃の腑に落とすようにできたようにおもう。


今の母は、たしかにとても不本意な過ごし方をしている。
人生の中で、きっと、もっとも望まなかった過ごし方をしている。


けれどいまその時間を過ごしていることが、母の、彼女の、人生の代表的な出来事ではないのだ。

ましてや、70年に近い人生の、いろどり豊かな、さまざまな喜び、恵み、試練、苦しみに満ちた人生の「集大成」などではない。
絶対に。



私はこれからも、きっとずっと哀しい。
哀しくて寂しい。
母ともう二度と、以前のように話し笑い食卓を囲むことができないことが。
そして拭えない負い目を感じながら、時折母を訪ね、話しかけるんだろう。


けれどその私の哀しみや寂しさを以て、彼女を哀れむのはちがう。
この病によって、彼女の人生がなにか台無しになったように感じるのはちがう。
彼女の人生のすべてが不幸なものに塗りつぶされてしまったように感じるのは、ちがうのだ。



母がいまなにもかもわからなくなってただただ辛い思いばかりになっても、彼女の人生にあった数々の素晴らしい出来事は、なにも色あせない。
私の話しかけにひとつも応えてくれなくなっても、母が30年以上に渡り私を全力で愛し育んでくれたことはなにも変わらない。


そう、今朝、心から思った。
思うことが、できた。




誇りに満ちたつよい言葉と、勇気と、笑顔と、愛を、人の心に記した人のご冥福を、心からお祈りします。


にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト

コメント

ヨコさん、こんにちは。ご無沙汰しています。
更新される度、喜んで覗かせて頂いています。

私自身、病院でことばや飲み込みのリハビリの仕事をしています。
冒頭の小林麻央さんのことば、私もニュースで聞いて強く印象に残りました。
そこへ今回のヨコさんのお話を拝読したもので、思わずコメントしてしまいました。
(*非公開コメントのつもりでつらつらと書いたところ、公開のみの受付ということで...かなりの長文で申し訳ないです;;;)


胃瘻のことで悩まれるご家族さん、本当に本当に多くいらっしゃいます。
ただ、胃瘻をしてもしなくても その後の生命予後は変わらないという報告もありまして。
お母様は、ご自身の元々の寿命を全うすべく 今を懸命に生きてらっしゃる、という見方も出来るかもしれません。
決して、胃瘻によって余計にだらだらと生かされている訳ではないと、私は考えています。

また、職場で出会う患者さんやご家族さんから 入院前のご様子を聞かせて頂くと、
やはり「患者さん」である前に、誰かにとっての大切な大切な「父・母」であり「夫・妻」なんだなと、改めて思います。
そして今回のヨコさんのお話で、それぞれのご家族がどれほどの思いで治療の選択をされているのか、
また病院を離れた後の日々をどのように過ごしておられるのか、ごくごく一部ながら、感じ取ることが出来ました。

ヨコさんが“彼女の人生にあった数々の素晴らしい出来事はなにも色あせない”と感じられたこと、お母様にとって凄く嬉しいんじゃないかなと思います。
たとえ自分がどんな状態であっても、大切な娘さんからそう思ってもらえるって、とても幸せなことなんでしょうね。

とりとめもなくコメントしてしまいましたが、胃瘻のこと・患者さん達のこと・自身の家族のこと、改めて思いを巡らす切っ掛けになりました。
このお話を拝読出来たことに感謝します。
  • 2017-06-25 18:18
  • URL
  • 天瀬 #-
  • Edit

天瀬さん

ご無沙汰しておりました!
そして、コメント、本当にありがとうございます。

言語聴覚士のお仕事をされているのですね!
リハビリ病院の中でも、一番来て欲しくて、でも一番人数が少なくてとてもお忙しそうなお仕事でした。
飲み込み、言葉、と本当にリハビリの中でも如実に「生きている」と人が感じる部分に直結するお仕事と感じて、その大変さはいかばかりかと感じます。

この記事は自分の気持ちの整理のために書いた記事でしたが、天瀬さんのコメントを読ませて頂いて、また涙が止まりませんでした。

悩む家族がとても多いということ。
けれど生命予後には関係がないという報告もあるとのこと。
本当に勇気づけられました。
ありがとうございます。

「ものを食べられなくなったら終わり」という考え方にも散々悩まされましたが、人が生きることはそんな基準で簡単に片付けられるものではないし、天瀬さんがおっしゃって頂いたように、母は、母の生命力を以てその生命力が頑張れる限りを懸命に生きてくれているのだと思います。

家族としてそのことに感謝しながら、彼女との限られた時間(けれど意識しないだけで、それは皆そうなのですよね)を大事に過ごしたいと思います。
  • 2017-06-27 09:52
  • URL
  • ヨコ #-
  • Edit

こんにちはー。
将来の「食べるため、経口摂取をめざす胃瘻」の理解も進んできた感はありますが、悩むご家族様まだまだ多いですよね。
私の父も55歳でクモ膜下出血で倒れ、11年経た今も胃瘻に人工肛門、そして意識もなく生きています。
もう慣れましたが、私も年重ねた今こそいろいろなこと話せただろうになーと悲しくなり、こそっと涙出ては打ち消しての繰り返しです。何年経っても。
だからヨコさんのお母様への悲しくて寂しい想い少し解るようなきがします。

麻央さんのブログの
暗いことや悲しいことだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間がある
って言葉が好きです。
  • 2017-07-01 16:07
  • URL
  • よしの #H.b0A3CQ
  • Edit

よしのさん

お父様、働き盛りで倒れられたのですね。
今のご生活になるまでも、とてもご苦労されたのではないかと思います。
自分の治療や、命の判断ではなく、人の治療や生活の判断をすること、別種の辛さがあるのだな、ということを今回しみじみ思い知りました。
こっそり涙が出ては打ち消して、本当にそうですよね。
私も時折たまらない気持ちになっては、また紛らわせて、を繰り返してきた気がします。

「暗いことや悲しいことだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間がある」
これもすごくすてきな言葉ですね!
麻央さんは「人にメッセージを届ける」ことをお仕事にされてきた方なんだな、ということを今回本当に強く感じました。
  • 2017-07-05 09:33
  • URL
  • ヨコ #-
  • Edit

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ヨコ

Author:ヨコ
どたばた働き、美味しいご飯をぱくぱく食べ、5歳上の彼女とのお付き合いはのんびりまったり、一緒に楽しく暮らしております。

ランキング・コンタクト

ランキングに参加しています

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

フォローミー
yoko_tuzukuhibi

メールフォーム

メールはこちらからどうぞ~。

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム