テレビとレズ



こんばんは、ヨコです。


毎日、にへらんっとして、アンケート結果を拝見する今日この頃です。


だってさー、今までコメントしたことないよーって人が色々書いてくださったり、大好きなブロガーさんが答えてくださったり、仲良くしてもらっているブロガーさんらしい回答を見かけたり、友達から「楽しみだねー」って言葉をもらったりするんだもん。


すげー楽しいっす!


コメントで教えて頂いたブログには、もれなくお伺いをしております! ツイッターも見てますよー。

ツイッターは、基本的にLGBTプロフの方は、ひとまずリフォローというカンジでやってますが、プロフがなくても、お声がけ頂けたらリフォローさせて頂きます!





さて、実は一週間くらい前から、もやもやと考え込みつつ、でも全然うまく言葉にならなくて、書こうかどうしようか悩んでいた話題がありました。

頭の中ではくるくると、言葉を巡らせていながらも、自分の考えたことってのが、どうにもこうにも的確にまとまらず。

でも、それをツイッターで切れ切れに呟いていたら、ご覧になっていた方が、アンケートで「がつんとブログに書いてみたら」と背中を押して下さったりして、ふっとふんぎりがついたので書いてみます。

これ、ほんとーに難しい話だと思うし、無思慮がだだもれちゃう気がするけど、まあそれが事実なのでしょうがないね。
思うところがありましたら、ぜひコメントください。


そう、有吉ジャポンの「レズビアン特集」の話です。



***



放送があったその日、私はけっこー疲れてた。

噂の番組を見られる時間に、家にはいたんだけど、バラエティの毒気に耐えられる気がしなくて、録画だけ。

ある種のバラエティ番組は、恒常的に多くの毒をはらんでいて、その毒には高確率でうんざりとした気持ちにさせられるので、普段、あまり見ない。

特に、サンジャポは、もとから、私が苦手な毒をもった番組の筆頭で、そういう意味で私は、そもそも、系列である有吉ジャポンに対しては、相当な警戒心があった。




ご飯を作る合間に、つらつらとツイッターを見ていたら、番組を見ている人の感想で、TLが盛り上がりはじめた。


私のTLに流れる感想には、どちらかというと「またレズビアンは、性的な部分ばかりにクローズアップした扱いを受けるのか」といった感じの、失望とも怒りともしれない、あまりよくない印象を受けた人が多いように見えた。


それと、同時に、そんなに悪くなかったんじゃないか、いいところもあったし、楽しめたよ、という感想も、ちらほら出始めた。



肯定的な意見の多くは、「どうかと思うところもあったけれども、出演者や演出など、いい部分もあった」というような、部分評価的なものだったり、もっと単純に、「バラエティーとして楽しかった。美人で素敵なレズビアンが見れた」といったようなものだった。

感想がTL上で増えてくるにつれ、次第に、一部の肯定する人と否定する人の感想は、先鋭化し、互いに批判的なトーンになっていった。

極端に差別的な意見や、肯定するのは利敵行為だ、という言葉も飛び出していた。




なんともいえず、苦い気持ちになった。


そこからずっと、なんとはなしに考えている。




***



最初、私は、TLの様相を見ながら、不愉快だと感じる人も、それは当然にいるだろう、と思った。



レズビアンという言葉に、最初に世間から与えられるイメージは、「女性を生活と生涯のパートナーとして、日常の生活を送る女性」だったり、「女性に惹かれ、時に想い叶ったり、時に破れて、また恋する女性」では、決してない。



過剰に、性的で、変態的で、妖しく昏い、閉鎖的なイメージだ。

子供に見せてはいけないような存在としての、イメージだ。




「私はレズビアンだ」と名乗れるようになった軌跡を振り返った中にも書いたけれど、同性に魅かれると気が付いた自分を、別に否定的に捉えなかった私でも、いざ「レズビアンだ」と自己認識するのには、正直、とても抵抗があった。


世間が抱いているイメージを、レズビアンという言葉に対して持っていた時、その言葉で自分を表現することは、私にとって不快感を伴うものだった。


これこそが、ホモフォビアだ、と思う。


それを自分自身に対して感じざるをえないのは、とてもしんどいことだ。





けれど、私の場合、レズビアンという言葉は、いつしか繰り返す生活と人間関係と時間に、次第に濾過されて、ゆるやかに「なんでもない」無害な言葉になっていった。


おそらく、そうやって自分の生活などを通して、レズビアンという言葉のイメージを再構築している人にとっては、あの番組は、かなりの確率で「なんでもない」。


そうそう、レズっていうと、そういった性的な側面からばっかり、世間は興味を持つよね~、といった、「慣れて冷めた」感覚で以て、あの会話を眺め、興味本位の下世話な質問に対して、明るくあざやかに切り返すタレントの彼女に、声援を送れただろう。

一般人でも、顔を出して答えていて、すごいな、と心強く思ったろうし、その容姿端麗さに、単純にうれしい気持ちになれただろう。

そういう形でレズビアンがテレビに出ることは、レズビアンのイメージアップになった! と思った人もいると思う。



私は、そう思う人が少なからずいたことは、当事者の自己肯定力の高さを物語っているように思え、嬉しいことだと感じている。






でも、そういう人たちも、「しょうがない」とか、「馴れ」とか、「テレビという商品の宿命」とか、そういう「想定できてた」という前提はのけて、レズビアンといえば、性的な面ばかりをクローズアップされることをどう思うか、と聞かれたら、それ自体をいいことだ、と肯定する人は、とっても少ないと思う。



私は、そのとりあげられ方自体は、結局、別にほめられたもんじゃないっていうことを忘れないのは、大事だと思っている。





たとえば、自分の中で「レズビアン」という言葉が濾過されずに、世間的なレズビアンというイメージに、自分を傷つけられている人だったら、どうだろう。

そういう人は、結局その「レズビアン」のイメージから、さして離れない扱い方をするあの番組を見たとき、不快感を感じるだろうと思う。




また、レズビアンが性的な側面でばかり扱われることに問題意識を感じ、世にずっと問うてきた人たちはどうだろう。

まだ、そうなのか。
まだそうとしか、扱われないのか、と、いらだつ気持ちも持つだろう。




だから、あの番組を不愉快だ、と感じなかった人が、不愉快だ、と感じた人に対して、そんなのは気にしすぎだよ、ナーバスすぎるよ、と、否定してしまうことは、なにか、とてもとても違和感を感じるのだ。



例えば、セクハラすることで有名な上司からセクハラをされて、それを愚痴った人に、「部長がセクハラするのなんて分かってたじゃーん」って、なぜかやられた方が黙らされる感じのことを言っちゃってるみたいな感じがする。

言い過ぎかもしれないけど。





バラエティの毒に耐性のない私だけれど、それでも、あの番組をそれなりに楽しんだ。


でも、あの番組が、レズビアンをああいう風にとりあげてくれて、よかった、とまでは思わない。


とりあげてくれるのなら、ああいう風にとりあげられるのもやむなし、というほど、テレビにとりあげられることに価値は感じていないからかもしれないけれど、とりあげられるのであれば、やっぱりもう少し広範で全人格的なとりあげられ方がいいなと思うし、性的な面でないと視聴率を集められないから、性的な面からだけ扱うっていうのは、イージーだなあと思っている。



***



でさ、たとえば今度は同じ下ネタでも、グータンみたいな感じで、お互いにわいわいと、ヘテロもゲイもレズも、フラットな感じで、自分のセックスについて語る、みたいな感じにならないかね。



「そっちはどうなのよー」「えー、それ、レズだとありえないわー」「いやいや、男女間的にはいけてるんだってば!」みたいな感じで、さ。






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コメント

お久しぶりに コメ書きます (^0^)/

男性は何故 女同士のエチにだけ 興味を示すかは 単純に 性の対象だからでしょうね

オネェの人の エチには 興味示さないでしょ (笑)

どうしても 批判しあうんですよね セクマイだけに 限った話しではないですよね

私は 小学生の頃から
多数決と言う 方法での 結論の出し方に 違和感を感じてました

多い方が 正しいとの結論付けが どうしても 受け入れ難い

異性愛者の方々は 同性愛者の方々より 人数が多いから 正しいと思っておられるのか 世に 男と女がいる意味はとか


まあ 難しいですが


尊重しあえるようになりたいですよね


押し付け合わずにいければ 良いのですが

教育 環境 宗教 など
個人 個人が どんな影響下で 生きてきたのかで 異なる思想になりますからね


番組の創りて側が 映像を流す時に どのあたりまで 考えて放送したのか と 首を傾げる事ありますもんね


  • 2012-11-28 15:04
  • URL
  • チャン可愛 #-
  • Edit

無題

テレビはニュース&天気・スポーツ中継・興味を持った時のみのドキュメンタリー位しか見ないから件の番組・特集があったとはつゆ知らず、、、

私はヨコさんアンケートではおそらく最年長属性の40代ですが、コミュニティーに出入りし始めた20数年前は折しも90年代ゲイブームの真っ只中で、パレードや映画祭の草創期だった事も手伝ってテレビはもとより紙媒体においても、様々な視点から同性愛が頻繁に取り上げられていた時代でした。

旧「宝島」では毎号かなりの頁数が割かれてたし、今はなき「ぴあ」まで特集を組んでたよ。

今みたいにPCが普及していなかったのに一気にブレイクしたものだから、オープンリーレズビアンの自分でさえ少し戸惑った事を覚えています。

情報が多い分混ざってる石も当然多く、本記事でも指摘されている当事者を不快にさせるものも少なくなかったですが、当時はリブ団体の動きも活発で、都度メディアチェック→内容に問題有り→即抗議、みたいな図式も普通にありました。。

あれから時代は大分進んだのに相変わらず…と嘆いたり憤ったりする時も確かにあるけれど、状況を少しでも変える為に自分が出来る事をどう増やしていくか、それを模索する時の方が多くなったと感じています。

しかし、大方の異性愛男性がレズビアンに対して持つ際物的なイメージ、即ちポルノばりのそれはそう簡単には変えられなさそう…個々の意識レベルの問題ともなるとなかなか、ね
  • 2012-11-28 16:16
  • URL
  • 料理人 #-
  • Edit

>チャン可愛さん

お久しぶりです!
ああ、確かにバラエティ的には、ゲイのアレコレはあまりつっこまれないかも!
女性に消費されてきたところはありますが。

多数決は、正しさではなく、効率ですからね~。

小さい声や、消費の論理にそぐわないことは、どうしても省みられないし、省みないで過ごさざるをえないことがある、というのはわかります。

でも大事なことは、効率だけでは語りきれないと思うんですよね。今回は色々考えました。
そして、こんなところで意見の相違から、叩き合いが起きるのは、どうしても嫌だなあと思います。

意見なんて相違して当たり前で、その相違する意見をつぶしたら、自分の意見が何かに益をもたらすわけではないんだから、そこは尊重し合えないものなのかなと。

またいらして下さいませ。
  • 2012-11-29 22:17
  • URL
  • ヨコ #-
  • Edit

>料理人さん

いや、最年長の方は50代以上でした~(笑。

ていうのはおいといて。

私は、そのブームと、リブとの時期は知らず、勉強もしていないので、なまなかなことは言えないんですが、とりあげられた時、その中で、当事者を不快にさせるものが発生した時に、「不快だ」と、ちゃんと当事者が発信できるって大事だと思うんです。

もちろん、それだけでは発展がない、というのもそうだと思うんですが、と、根本として、無礼であると思えば、怒りを礼儀正しく表明することも必要なんじゃないのかなと。

だから、怒る人をわざわざ押し込めるような言動が、次第に出てくるのと同時に、その一部が、他の何かを貶めるような物言いになってしまっているのを見てしまって、なんだかすっごくもやもやとしてしまいました。

根っこで望んでることってそんなに変わらない気がするのにな。


個々の意識はそう変わらないと思います。私が変わらないように。
人はそんなに他人に興味ないですもんね。

でもそんな、一個々人の正しい理解の問題ではなくて、権利が保障されるようになってほしいと切に思います。

一人の、法規を守り、働き、納税し、消費する一個人として。
  • 2012-11-29 22:28
  • URL
  • ヨコ #-
  • Edit

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