変われ、日常

地震から、ずっと非日常が続いているような気がする。
そして、非日常は夢のようで、すぐに醒めるんじゃないかと
どこかで思っていた。

街が薄暗くて、スーパーにものがなく、楽しみごとが
キャンセルになった土日に、「いつもの」ではない仕事に
かかる二日間。

これは、異常事態だと思っていた。
けれど、次第に、日常が変化をはじめる。


地震が起きた直後、私はすぐに電車が動くような気がしていた。
電車が動くのが「当たり前だ」と思っていたから、
なかなか、もうこれは動かない、ということを受け入れるのに
時間が掛かった。
けれど、三時間後に、私は電車が動かない事実を受け入れ、
歩き出した。歩けるところへ。


私の今までの「当たり前」。
時間通りに、何不自由ない数で、安価に運行されている
公共交通機関。
無尽蔵に出てくる、お湯と水とガス。
いつまでもこうこうと点いている、眠らない光。
いつでも、なんでも、どれだけの量でも、基本的には
お金を出せば手に入る山のような食料や物。
昨日注文したものは、今日届く。
今日投函したものは、明日届く。
そして、無限に働き続ける時間。

なんとなくこういうものがあるべき日常で、
一瞬こういう非常事態で大きくゆれて、制限されても、
また「日常」の方が正しくて、そちらに戻ってくるものだと、
思っていた。感覚が。

でも、多分、違うんだ。

娯楽産業が、いっせいに営業自粛をすべきだという意見も目にする。
私はそれに与しない。この「不足」はもっとずっと長く続く。
この「不足」こそが、もしかしたら「日常」になるくらいに。
であれば、継続可能ではないものは、あまり意味がない。

ダイエットが一生続けられる食生活を見出していくものであるように、
もっとずっと継続できる「節度」を見出していくべきときなんじゃないか。

私たちは今、経験をもって気付いていっている。
もっと少い光しか使えなくても、死なない。
好きなときに食べられなくても、死なない。
お風呂を毎日入れ替えなくても、死なない。
冬に、夏の食材が買えなくても、死なない。
秒単位で時間が守られなくても、死なない。

あんなにも快適じゃなくても、私たちは全然問題なく、
いきてゆけることを、身をもって学びつつある。


だからいま、原発が最悪の事態を招かないように、
決死の作業にあたってくれている全ての人たちに、
感謝と、ひたすらな申し訳なさと。
そして、降りだした雨にふれないようにと、屋内に身を寄せて、
とても怖い思いをしながら、待機をしなければいけない人たちに、
ただただ、頭を下げたい。
主にはあなたたちの為ではない、過剰な快適さのために、
原発はあったから。


月曜日がはじまったときに、親からメールが来た。
「今までみたいにやろうとするのではなく、
 リセットの機会と捉えるしかないね」
そうなんだな、と素直に思った。
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コメント

1 ■こんばんは

この間は挨拶もできなかったので、改めて。
初めまして、樹と申します。

ヨコさんのブログを読んでいるといつもいろんなことに気付かされます。
少しだけ、「当たり前」の日常を振り返って、その日常は何の上に成り立っていたのか考えてみたぃです。
  • 2011-03-17 00:42
  • URL
  • 樹 #79D/WHSg
  • Edit

2 ■Re:こんばんは

>樹さん
わー、またまたコメントありがとうございます。
あの時、はじめまして、ですよね(笑。よかった!

状況が変わって初めて気付くことって多いと思うんですよね。
そういうことは、また状況が変わると忘れちゃうので、
忘れたくないなと思っての覚書なので。
そんなコメントをもらってとっても嬉しいです。
  • 2011-03-17 22:09
  • URL
  • ヨコ #79D/WHSg
  • Edit

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