愛するサガ

こんにちは、ヨコです。

最近、ヲタ活動の用途でTwitterをまともに使い始めました。

そのついでっちゃーなんだけど、ヨコ名義のアカウントでもこまめに呟いたり、
気になるツイートに気軽にふぁぼしたり、リプしだしたところ、
あれよあれよと交流の輪が広がって、SNSのパワーを今更ながらに感じてます。

加齢につれ、人間関係はわりと固着化しやすくなるから、
プライベートで交流できる輪が広がるのはありがたし。

てか、このブログも貴重な出会いを今まで幾つももたらしてくれてるわけで
ほんと今更ですけども。


んで、主にヲタ活してて、しみじみ実感したのは、
自分が「好きなことを同好の士と盛り上がるのが好き」な人であること。

対象そのものもだけど、そーゆーことが楽しいから
より好きが加速するとか、好きが持続するって時が、ままある。


思い返せば学生時代、アーティストにハマったのも、同人誌作ってたりしてたのも、
小劇団活動してたのも、なんなら仕事すら、
「気の合う仲間とワイワイやることが好き」
が原動力なんだよね。


そういうのって、我ながらちょっと「邪道」の感はある。

主体性がないというか、
「誰がなんと言おうと、誰からも理解されなくても、好き」みたいな
一本筋が通った感じとはだいぶ無縁な感じ。

あおちゃんは全く逆で、好きなものはひたすら自分一人で好き。
自分一人で、愛好し続ける。

あおちゃんのが、純粋にそのもの自体が好きなんだろうなあ、と思う。

ちょっと後ろめたいような気持ちにならないでもない。



でも、結局私はもうそれで自分はいいと思っている。


人とやるのが好きなのが、私のサガでいいと思ってる。


自分の好きの純度への懐疑はもちろん、
人間関係があることでの面倒やイライラ、傷ついたりも伴うんだけど、
そうやって物事を愛すことに、まぎれもない私自身がある。



好きなものを人とワイワイ楽しむことがより好き。


うん、ま、ありでしょ。

全然あり。



自分が、何を快とし、何を不快としているかは、
まずは正否の判断をおいて、
クリアに感じ、わかっていたいって思う。


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すくいのことばによせて


   例えば、今私が死んだら
   人はどう思うでしょうか。
   「まだ34歳の若さで、可哀想に」
   「小さな子供を残して、可哀想に」
   でしょうか??
   私はそんなふうに思われたくありません。
   なぜなら、病気になったことが、
   私の人生を代表する出来事ではないからです。


   BBCに寄せられた小林麻央さんのコメントより



彼女の死にまつわる報道の多くは、私を苦々しい気持ちにさせた。

愛する人の死に、身を裂かれる思いの家族を、衆目の前にひきずりだし、心境を語らせようとするその行為は、あまりに非人間的に感じた。

けれど、あるテレビ番組でこの彼女のコメントが読まれた時、言葉はどんっと私の胸に飛び込んできた。涙が溢れた。


この言葉に出会えたことに感謝した。




ここからはかなり長い話になる。

あまり、愉快なたぐいの話ではないことだけ、先に断っておく。

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対話の時間

二年半くらい前から、コーチングを受けるようになった。


きっかけは同僚からの紹介で、そこから月に二回、一時間半ずつ、コーチの女性と向かい合うようになった。


コーチと話している時間は、
その場しのぎではなく、
時間つぶしでもなく、
打ち合わせでも、話し合いでもなく
情報交換でも、雑談でもない、
純粋に「会話をする」時間。


そこでは、正解も不正解も、いい悪いの評価も、好かれたいも嫌われるかもない。


そこで会話をする目的は、自分がなにを思い、なにをどう感じ、考えているかを真摯に伝えること。
伝えようとする中であらためて、「ああ、自分はこう感じていたのか」「実はこんなことを思っていたのか」と発見すること。
そして、伝えたことに相手から返ってきたものをうけとめて、またあたらしい思いや考えが自分の中にうまれるのを感じること。


この時間に一体どんな価値があるのか、ということはとても表現しづらい。

でも、そんな会話をする時間が、他のどの関係にありうるかといえば、どこにもないのだ。



コーチングを受けはじめてから、一年半くらいした頃、彼女の妊娠により、その時間は少しお休みになった。
そして、今日、10ヶ月位のブランクを経て、久しぶりに彼女との時間がまたはじまった。



小一時間くらい、近況を含めていろいろな話をした後で、彼女が聞く。

「今の調子は、ヨコちゃんにとってどの位のとこにあるの?」

「いろいろな変化を感じている時期です。仕事も心持ちも、体調の面も。
 この変化が一段落ついて落ち着いたときが楽しみかなあ」

「これから人生の軌道としては、どうなっていきそうだって感じてる?」

「もっとよくなっていくんじゃないかなって感じてます」


その言葉はするりと私の口から出ていった。
出ていって、そして私の耳にもはいってきて、私を驚かせた。


彼女も、「おお!」といって、笑った。



それまでに話していたことは、けして明るい話ばかりじゃなかった。

むしろ直前に話していたのは、三年とすこし、通奏低音のように途切れなく鳴り続けている私の強いかなしみとさびしさの話だった。

消化はできない、すこしも小さくはならない、離れてもいかない、ただすこしだけ、付き合い方には慣れてきた、かなしみの話。


それでも、私は人生を明るいものだと感じていて、ここからさらによりよくなると思っているのだ。


そんなことにあらためて気付けた初夏の朝。




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私がブログを書かなくなったワケ

こんばんは、ヨコです。

この前の記事を更新したら、すぐに拍手をくださった方がいて、こんな数年にわたって完全に沈黙していたようなブログを更新しても、見に来てくださるような方がいらっしゃるんだなー! とびっくりしました。
いや、本当にありがとうございます。ありがたいです。

ゆるゆると更新する習慣を復活させてみましょかね、ということで、手始めに自己紹介の記事を数年ぶりに更新しました。

たしか一応二回くらいは更新してる筈なんだけど、それでも30代はじめです、とか名乗ってて、時の流れの速さに一瞬の目眩。
目にも止まらぬことであるよ。

それをきっかけに一番最初の頃の記事を読み返していて、この記事にたどりつき、そして、自分が何故この場を更新しなくなった理由がなんとはなしにわかってきたので、今日はつらつらそんな話を。


私がもともと長くいろいろなことを書いてきた場は、mixiでした。

mixiには(ご存じの方も多いと思いますが)「あしあと」という、「誰が自分の書いていることを読んでいるか」がわかる、という機能がありました。
これが私の書くことのモチベーションを、長く支えてきました。

誰かが、読んでくれている。
この人が、読んでくれている。
こんな人も、読んでくれている。

読んでくれた人が、どこまで読んでくれたかなんてわかりません。

ある日記については、チラ見すら、もしかしたら、しなかったかもしれない。
書いてあることがサッパリ理解できなかったかもしれない。
不快な思いを、したかもしれない。

それでも、少なからぬ誰かの目にとまっていることが、はっきりわかることは、私が書き続けるに十分なモチベーションをうみだしてくれました。


そんな私が、mixiに書くことをやめ、ブログを書きはじめたのは、当時私の書きたいことがあまりに「恋人がいること」と不可分だったからでした。


当時、私は家族や会社の同僚といった一部の人には「恋人が同性であること」どころか、「恋人がいること」すら知られたくありませんでした。
それゆえに「恋人がいること」絡みのことを書く場合、mixi上では読んでくれる人を制限せざるをえませんでした。


表示を制限した日記は、「読んでほしくない人」がいるだけなのに、あたかも「読んでほしい人」を指名しているかのようで、なんとなく違和感がありました。


知られたくない人以外には誰に読んでもらってもいいのに。

むしろ、知られたくない人以外であれば、できればより多くの人に読んでもらいたいのに。


違和感は次第に強くなり、私はブログを書き始めたのでした。


そしてブログを書いていた数年間のうちに、私には恋人がいることを、そしてその恋人が同性であることを知られたくないという相手は、ほとんどいなくなりました。


家族にカムアウトしました。

転職して、同僚にカムアウトしました。

その前後で、幼馴染にも同級生にも、何かしらパートナーシップについて聞かれる機会があれば「私はパートナーが女性なので」とさらりと説明するようになりました。

知られたくないことがなくなった時、私の書く場所はまた気軽に書けて、そして誰かが読んでいるということがすぐに伝わるFacebookに場所を移していきました。


私の書きたいことの総量もネタも大して多くはないので、どこかに書ければ十分で。

その中で、フィードバックが一番大きい場所を無意識にか選んだ結果、ブログが途絶えがちになり、Facebookになっていったと、どうやらそういうことだったんだなあと、改めて一人納得したのでした。


それじゃあまたなんで、こうやってブログに一人つぶやきはじめたかといえば、またなにかの必然性が、生まれてきたんでしょう。

今度、じっくり自分に聞いてみようと、思います。


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流れる季節のまんなかで

しあわせで穏やかな時間は、当たり前ではないのに、流して過ごしてしまって。

つらいときばかり、強く覚えていて、ながく感じたりしてしまうよね。



あおちゃんが、言う。




本当だね。

本当に本当に本当だね。




いくら意識しても、つい忘れてしまうことなら、しょうがない。
何度だって思いだそう。



週末の約束や、一年後に一緒に過ごす約束を当たり前にできる、そのことがとても恵まれてるってこと。



ごはんが美味しいねえと言い合える日常は、とても貴重なんだってこと。





丸4年間、一緒に時間を過ごしてくれてありがとう。


そしてこれからの一瞬一瞬も、どうかよろしく。







おまけ。

大変好評だったおうちお祝いディナー。
あおちゃんの買ってきてくれた肉の上質さが勝因。

・ローストビーフ
・二種のマッシュポテト
・バターナッツかぼちゃのポタージュ





お互いにプチサプライズと思って買ってきたら被っちゃったケーキ。

黄桃とブルボンバニラのタルト。





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プロフィール

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Author:ヨコ
どたばた働き、美味しいご飯をぱくぱく食べ、5歳上の彼女とのお付き合いはのんびりまったり、一緒に楽しく暮らしております。

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